『「靖国」という悩み』保阪正康(毎日新聞社)

昭和史の大河を往く「靖国」という悩み
保阪 正康
毎日新聞社 (2007/02)
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著者は元々、文春を主要な活躍の場とするような、いわば「保守」である。それが近年の突出した右のめりの世の中で、朝日や岩波からも重宝されるようになっていた。とはいえ、それは時代がひどすぎるからであって、この著者が何かいいことを言っているわけでもなかろうと、実はあまり期待していなかった。だが予想に反して、本書は結構面白く読める。腐っても「戦後民主主義」というか(著者は60年安保世代)、著者が全面的に批判するのは、「旧体制」のイデオロギーであり、具体的には「大東亜戦争」を肯定し植民地支配を開き直りA級戦犯を顕彰し東京裁判を否定する歴史認識である。しかもそれを、単に世代的「常識」や歴史の「真実」の問題として述べるのではなく、著者が「実証」としてそれなりに誠実に積み上げてきた兵士当事者たちへの聞き取りなどの成果を背負って発言していて、それだけに、安直に死者の思いを掠め取る者たちには重い批判となり得るだろう。もちろん、著者の「実証」は、政治的スタンスの曖昧さに結びついており(それは本来「実証」と相反しないはずだが)、大きな問題は残っている。「なぜ死なねばならなかったのか」という兵士たちの思いに寄り添うならば、論理的に問題は天皇制国家の戦争責任に結びつく。そして、そもそも靖国神社は最初からそうした死者の簒奪装置ではなかったか、という批判に行き着くはずではないか。著者は「A級戦犯合祀」と遊就館の展示内容に「旧体制」イデオロギーを見てそれを断ち切る必要性を述べるが、それを断ち切れなかったからこそ、一宗教法人という形であれ靖国神社が存続し、「象徴」とはいえ天皇制がそのまま続いたのであろう。そうであれば、靖国神社は良いが「A級戦犯合祀」はダメ、とか、「富田メモ」は大切だが天皇主義ナショナリズムはダメ、とか、最初から問題設定がおかしいということになる。しかし、「サヨク」でない立場からも、ここまで明確に問題が提出されているのは注目に値する。この程度の「国民的合意」すら成立していない日本社会のおかしさをつくづく感じさせられる。