『デモのメディア論』伊藤昌亮(筑摩選書)

若干嫌な予感がしつつも、本書の内容と重なる著書も既にある「大人」なので一応期待して読み始めたが、甘かった。デモの「祝祭」性に着目するという事自体は良い。しかしそれを二者択一や段階論に持ち込むことは不適切で、支持できない。だがそれすら本書の欠陥からすればまだマシなこと。基本的に妄想に妄想を重ねて大展開していて、後半読んでいるのがバカバカしくなってくる(というか腹が立ってきた)。文献表を見ればわかるが、主にネット情報を寄せ集めていて、ネットや自分の読んだものに情報がない場合には勝手な推測(印象論、思い込み)で補っているのではないかと思われる。私自身も詳しくはない海外の事例であればそれでもまだ読めたとしても、日本の事例でそれをやられると(特にジャーナリズムのレベルでちゃんとした記事が出されていないこともあって)目も当てられない。「素人の乱」におけるいつもの松本哉節を、さも重要な表現であるかのように分析しているところなど、何かのギャグではないかとすら思われた(そして文中であれほど「素人の乱」に言及しているのに、松本の著作が文献表に出てこないのも謎だ)。私が「妄想」と書くのは、中盤以降、語尾「〜ではないだろうか」が乱発されることからも裏付けられる。だが、「〜ではないだろうか」と根拠無く思いつきを並べておきながら、それが少し経つと「〜と考えられる」「〜と言って良いだろう」といつのまに根拠を漂わせ、さらに少し経つと事実として断定されていたりする。教養も人生経験も浅い「若手」が、「一発」欲しさにテキトウな本を書くのは、共感はしないが同情に値するとしても、50歳過ぎのいい年した「大人」がこんな本を出してちゃダメだろう。