『日高六郎・95歳のポルトレ』黒川創(新宿書房)

日本に戻ってきた日高六郎に対してこの著者が聞き取りをしているという話は伝え聞いていたのだが、ベルクソンがどうこういう話になっているとも聞いて、正直言って全く期待していなかった。しかし本書はそういう想定よりはるかに内容があり、十分とは言えないまでも、聞きにくいところにまで踏み込んで話を引き出していて良かった。全共闘問題を焦点とした丸山真男に対する両義的な評価もさることながら、福武直に対する(ある意味一貫した)低い評価は興味深かった。日本社会学史を考えるときに、読んでおくべきエピソードだと思った。国外も含めて、自分の手本にしたいと思うような社会学者は(自分が不勉強であまり読んでないこともあるが)今のところいないのだけど、日高六郎は、著作というよりその生き方において、敬愛の対象になりうるかもしれない。ただ、日本の大学や「学問」に対するこの潔い姿勢は、さっと東大教授になれたからこそ出せる「反抗」であるのだとも思った。「内側」にとどまっている限り、単に「絶望」して済ませているわけにもいかない。

僕は絶対に学者じゃない。社会学者ではない。学者を自認したことはない。/……僕は丸山さんの著作集を読んでいないんです。丸山さんは、アカデミズムの中にいる人間の仕事というのはどうあるべきかというのをきちっと自覚している人。それは見事。/丸山さんは大学院生を教えるときに、論文の書き方を非常に細かく教えるらしいね。アカデミズムにはルールがあるんだと。……/僕はそういうことを教えたことはゼロなんだ。論文の書き方なんてことについて、学生にあれこれ言ったことはない。というのは、僕は学者ではないし、学問的論文は書かない。だいたい、学問的論文の80パーセント、あるいは90パーセントは読むにたえない、読んでも意味がない、そういう偏見を持っている。