『鏡の中の日本と中国』加々美光行(日本評論社)

研究会で読んで読みかけになっていたので最後まで読む。研究会の場ではそれほど否定的な受け取られ方ではなかったようだが、どうも概念が大枠で、意味のある議論になっているのかどうか疑問(おそらく著者の仮想敵が極端すぎて結果として大味な印象)。「コ・ビヘイビオリズム」も竹内好もなんとなく悪くない議論であるようにも思われるが、しかし国境線で区切られた単位で問題を立てる(そしてなぜそうすべきかの説明を省いてしまう)ことの問題は残るのではないか。特に竹内好(再)評価は、無茶苦茶な排外主義や歴史修正主義との対抗上ナショナリズム肯定論に結びついているように思われ、気持の良いものではない。「有根のナショナリズム」ならそれで良いのか?? 「日本」を単位として「自己喪失」などと本当に言うべきなのだろうか。